プロフィール
自己紹介
皆様はじめまして。
この度なかむら歯科クリニックに勤務することとなりました。
私は広島県で生まれ、父、母、3歳上の姉とともに4人家族で育ちました。
人と関わるのが大好きな子で、家の前に座り込んでは通りがかりの人に、お好み焼き食べにきんさい!と片っ端から声をかけていたそうです。
幼少期からボール遊びに目がなく、幼稚園ではサッカーに、小学校では硬式テニスにのめり込んでいました。
特にテニスは3年生からスクールに通って練習していました。スクールがない日は家の前でひたすら壁打ちをしていました。中学受験に伴い5年生で泣く泣くやめましたが、広島市大会で優勝、広島県大会でシングルス5位、ダブルス3位になりました。
何かに熱中し、幼いながらも結果を出せたことは成功体験の一つであり、今の自分にも活きていると思います。
その後、全寮制の中高一貫校に入学しました。
長期休み以外は週末もキャンパスから出られなかったので、最初の2学期は本当にホームシックが辛かったです。帰省60日前から日めくりカレンダーを作り、帰省日を心待ちにしていたほどでした。
そんな精神状態で周囲に馴染めるわけもなく、入学当初は友達が全くできませんでした。当時は携帯電話もあまり普及しておらず、持ち込みも禁止されていました。相談できる人がいない中、ただただ毎日が苦痛でした。
そんな中、一人だけ親身になってくれた人がいました。一学年先輩でルームメイトだったSさんという方でした。
Sさんは自分だけでなく、誰に対しても分け隔てなく明るく誠実に接する人気者でした。
その内、自分も彼のようになりたいと思うようになりました。
とはいっても具体的にどうしたらいいのか分からなかったので、とにかく自分が思う「優しい奴」になろうと努めました。
何があっても冷静に、笑顔で前向きな態度を保つように意識しました。
時間はかかりましたが、徐々に受け入れてもらえるようになり、友達も増えていきました。人間関係が良好になるにつれ、ホームシックはなくなっていきました。それどころかいつの間にか学校に帰る日が待ち遠しくなっていました。
どんどん前向きになり、バスケットボールや吹奏楽、生徒会や寮の役員にもチャレンジしました。
卒業アルバムのアンケートで、『3年間で一番変わった人』に選ばれた時は本当に嬉しかったです。
同時に、物事の継続性の大切さを心から実感しました。
この頃の仲間達とは今も交流があり、自分にとってかけがえのない存在です。
先生方も本当に素敵で、自分がどんな失態を犯しても決して責めず、それどころか共に悲しみ、更生することを心から願ってくれるような方達でした。慈愛と寛容の大切さを、行動を以て教えて頂きました。
生涯の友や恩師達に出会えた中学生活は、今の自分の礎となっています。
高校では1年生の夏から1年間アメリカ、半年間ニュージーランドに留学しました。日本の片田舎で寮生活をしていた自分にとって、突然の海外生活は全てが刺激的で、英語もさっぱり分からない中、とにかく毎日生きるのに必死でした。(笑)
そんなわけで高校生活を半分留学に費やし、卒業後は浪人することとなりました。
この頃から進路は既に歯科大学を希望していました。
歯科医師である父の背中を見て育った僕にとって、同じ仕事を目指すようになるのに特にきっかけはいりませんでした。
「これは僕の天職なんだよ」と、仕事にプライドと充実感を持って臨んでいる父を尊敬していましたし、人の痛みに寄り添い、治すことで地域社会に貢献したいという思いが強くありました。
大学では小学生ぶりに硬式テニスを再開しました。レギュラーにはなれませんでしたが、素晴らしい仲間たちのお陰で、全日本歯科学生総合体育大会で部として優勝を2回、準優勝を1回経験できました。
部活引退後は勉強漬けの毎日でした。多くの歯科医師にとって、この頃が人生で一番勉強した時期ではないでしょうか。自分も早朝から深夜まで授業の予習復習に没頭していました。
それでも一人の力では全く歯が立たず、落第も経験しました。周囲のサポートを得ながらどうにか卒業し、国家試験にも合格できました。
卒業後は一年間の研修医生活を経て、大学院に進学しました。自分にはまだ勉強が必要だと感じたためでしたが、どうせなら自分の弱点を補いたいと思いました。
悩んだ末、高齢者の歯科医療全般と入れ歯が専門の講座に入局しました。
そこで自分にとっての恩師である櫻井薫主任教授(現 東京歯科大学名誉教授)の下、医療人としての基礎から臨床テクニックまで徹底的に指導して頂きました。
教授は「一事が万事」という言葉を大切にしており、医局の雑用から言葉遣いまで、歯科医師としての品性を養うことに尽力しておられました。自分にも他人にも厳しい方でしたが、一方で多様性に非常に柔軟であり、子育てをしながら大学院に通っていた自分の良き理解者でもいてくれました。
教授や先生方の協力を得ながら大学院を卒業後、1年かけて論文をまとめ、学位を取得しました。
その後、静岡県に移住し、三島市のないとう歯科医院に3年間勤務しました。
理事長の内藤毅先生からは、臨床家としてのテクニックや医院経営の基礎を懇切丁寧に指導して頂きました。
自分は常に周囲の人々や環境に恵まれ、支えられながらどうにかここまでやってくる事ができました。
失敗も挫折も多く経験しましたが、その分患者様の痛みや苦しみにしっかり寄り添っていければと思っています。何か歯科についてお悩みがある方、いつでもお気軽にご相談下さい。
福山の地域医療に貢献できるよう、勇猛邁進をモットーに精一杯頑張ります。
今後とも宜しくお願いいたします。